未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

おとこレベルが上がった話

今日、ひさしぶりにあのメロディーが僕の中でなりました。

タタタタタッタンターン

こうして僕のおとこレベルは1上がったわけなんですけど、
どいう経緯でレベルが上がったかと言いますと、

今日の夕方頃、1人で本を片手にコーヒーを飲んでたところ
頭の中から「汝、焼肉を食すべし」みたいな声が聞こえてきて
「ガブリエルッ!!」って思う間もなく本をたたみ、笑顔で会計をすませ店をあとにしました。
ちなみにこのお店、金〜日は24時間OPENなので徹夜作業に迫られる方はオススメです。

河原町を南に下りながら、「京都 焼肉 1人」で検索し、啓示のままにいざなわれた店は「焼肉 やる気」。

「お好きなお席にどうぞー」
そう言われた僕は、店の奥の人目のつかない席に座る男性をちらっと横目に、
あえて人通りの最も多いかつ店外からも見えるレジ横の席についたわけです。

外見からは想像もつかない男らしさでしょう。
こういうギャップがまたいいんです。

さてこうしてお肉を食べるに至ったわけですが、
「お坊さんってお肉食べていいの!?」この問題について考えてみました。

そしてある結論にたどり着いた時、あの音がなったんですね。

どんな結論かっていうと、世の中に、
〜していいとかしてはいけないっていう決まりは実はなくて、
行為によって引き起こる結果を受け入れられるかどうかってことでして、
それさえ受け入れられれば大抵のことはやればいいってことです。

注意すべきは、極端な話、犯罪を犯した場合、
結果として被害者やその家族、社会から批判を受けるのは自分だけではなく、自分の家族や周囲の人もその対象になり得るという点。

お坊さんの話は一旦置いとくとして、
肉を食べることに批判的な厳格な菜食主義者の価値観の前に、自分が肉を食べることをどう説明するかというと

食べたいから食べる。以外にないんですね。
論理立てて肉食を正当化しようといろいろ調べてみたものの、
肉を食べ続ける医学的な必要性は見つかりませんでした。

知恵によって文明を築いてきた人間が生態系の頂点に立っていて、
自分の欲を満たすために、つまり食べたいから食べてるんですよね。
言い訳できそうにありません。

ちなみにお坊さんの話に戻ると、肉を食べてはいけないわけではなくって、
大切なのは「何を食べるかではなく、どんな気持ちで食べるか」だと言います。

とはいうものの、仏教徒だからこうじゃなきゃダメだなどと教義や戒律をそのまま受け入れるのではなく、
自分で納得したものを実践していくというスタンスでいくのが仏教だと思ってるんで、そういうスタンスを大切にしたいと思います。