読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

親に感謝なんてできるわけない。

先日、久しぶりに実家に帰ったときの話なんですけど、
母親にイラつくことが何度かありました。

普段親元から離れて暮らしていると、ありがたさが分からんでもないんですが、
実家に帰省ると僕のやることなすことにイチイチ突っ込んでくるのがムカつきます。

親との距離感なんて三者三様なんでしょうけど、
全く感謝してないわけではないと思うんですけど、なぜか好きになれないし
「好きで生まれてきたわけじゃねぇよ」なんて意気がってた人も少なくないでしょ。

そんななか、こないだ友達と四国旅行に行ってきたんですけど、
内1人が
「俺、母さんとは親友みたいな感じなんだよね。だからなんでも話しちゃうし毎日話してるよ」と。


「は?まじで!?」と。



この違いは何なのかを考えてたんですけど、
当たり前なことにどれだけ感謝できているかの違いじゃないかと、ふと思いました。


感謝というのは意識的にするものではなく、
心のなかから自然と湧き上がってくる感情みたいなものだと理解しているので
彼は、当たり前のことが実は当たり前ではないんだということ、
つまり「有り難い」ことなんだということを自然と理解できてたんじゃないかと思いました。


どうすれば当たり前のことを、当たり前ではないんだと気づけるのかと考えてたんですけど、当たり前がない世界を想像してみたり、そんな映画をみてみたり、人の話を聞いてみたり、当たり前が当たり前に存在しない世界をリアルに思い浮かべる練習が不可欠なのかなぁと思い始めました。


先日聞いたお坊さんの話なんですが、
その方は震災で被災し、被災当初は食料が不足する生活を強いられていたようで、
被災地域を訪れるボランティアの方から差し出される、コンビニのパンが本当に有り難かったと言われてました。

環境が変わってしまえば、これまで目にしてきたものの有り難さをまざまざと感じさせられると改めて気づかれたと。

ですが震災から時間が経ち、街の復興が進み、以前の生活に近づくにつれて
震災直後に感じていた「有り難さ」が少しづつ薄らいでいく自分に気づいてしまわれたそうです。


人間は、慣れてしまう動物です。
だからこそ当たり前が当たり前に存在しない世界をリアルに思い浮かべることに慣れる練習が必要なんでしょう。
そしたらちょっとだけ両親や家族のことを好きになれる気がしました。