未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

みんなに知ってほしい仏教哲学

<English is below>

僕はお寺に生まれ坊さんになろうとしている身ですが、
宗教は好きではありません。

仏さんに対してありがたいって感情が1mmも芽生えてません。

「仏さんは素晴らしい」「阿弥陀さんがありがたい」って言ってるお坊さんも胡散臭く見えたりしなくもありません。ま、その人の信仰だから別にいいんですけどね。

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そんな僕なんですけど、皆に知ってほしいなと思う仏教的な考え方がいくつかあります。今回は3つほど紹介します。

正見(ショウケン)

意味:正しく、ありのままを見る。

例えば、せっかくのOFFの日なのに雨が降っている。「あー天気、最悪だ」と思ってしまうかもしれません。
でも注意深く観察すると、ただ雨が降っているだけで良いか悪いかは自分の心が決めているんだということに気づきます。
良識に基づいて現実を注意深く観察する。
そうして、自分が選択している行為が、自分の幸せや不幸を作っていることが分かってくると、自分が取るべき行動が自然と分かるはず。
幸せや不幸は心が生み出しているという「原因と結果の法則」を意識すると、世の中の見え方が変わってくるかもしれません。

聞思修(モンシシュウ)

意味:自分で聞き、自分で考え、自分で行動する。

これは修行に臨む仏教徒が取るべきスタイルのこと。

たとえ尊敬する釈迦が言ったことであろうと、師匠が言ったことであろうと、
その教えを盲目的に信じるんじゃなくて、自分の耳で教えを聞き、自分の頭で考えて、納得したことを実践しなさいという意味です。
もちろん、納得できないものは切り捨てるのではなく心に留めておくこと。それが正しいことであれば、必ず腹落ちするときが来るはずです。

このスタイルってキリスト教とかイスラム教とかの人たちにも知ってほしいな、と思います。

平生業成(ヘイゼイゴウジョウ)

意味:どんな過去だろうと、今この瞬間から理想の自分に近づくことができる。

親鸞特有の思想。
私たちは性別、国籍、時代、生まれる環境は選べませんが、今この瞬間、どう行動すべきかは自分で決めることができます。
だから過去に起こったことに囚われず、自分の理想に近づくための行動を今、自由に選べるんだという親鸞のメッセージです。
理想の自分というのは、スポーツ選手やハイエンドな人たちのことではありません。
より本質的なもののことで、自分の心が満たされた状態のことです。
どんな手段で心を満たすかは千差万別ですが、
そのための行動を今この瞬間から私たちが選ぶ決断は過去からの束縛を受けることはないので、自分にとって適切な判断を下すことができます。

つらいことや悲しいことがあると、どうしてもそれのせいにしてしまいたくなるし、そうすると楽なんだけど、過去はもうここにはないんだから、今この瞬間から自分の理想に向けて考え、動き始めることができるはずだということ。

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僕の解釈が多分に入ってしまってますが、概ねこんな意味です。

仏教っていうのは、世界を超越した絶対者の言葉を信じる宗教ではなくて、
自分を深く見つめていったときに自然と気づく考え方です。


だから仏教ってのは信じれば救われる宗教とかじゃなくって、
困難に直面したり、悲しみに暮れる人、生き方に悩む人が、それでも平気で生きていけるようになる考え方です。受け売りですが。

どうでしょう。


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What I wanna share in Buddhism

My family runs a temple, so I have been always with Buddhism since I was born. But, I'm not so interested in "Religion". Unlike ordinary Japanese monks, I don't have a faith in 仏(Ho-To-Ke) which is like God in Buddhism.

However, I decide to be a Buddhism priest. Because I have many new ideas of Buddhism to spread out.

So I will try to introduce 3 Buddhism ideas.

Syo-Ken

This means we carefully observe the real world. We tend to evaluate something but these evaluations are just created by our mind. So, our thinking comes out a feeling of Happiness/Unhappiness. Even if it rain on your holiday , it's not any bad day, just a rainy day.

Mon-Shi-Syū

This is a way of Buddhist training. When Buddhists practice Buddhism, they don't accept dogma without understanding. They have to read Buddha's words and always think whether they can understand Buddha's words or not. We are required to access the words are real or not by myself. We should not believe something without any reasons.

Heizei-Gōjō

This idea means we have things to change and so our desire can be satisfied. This desire is neither getting fortune nor reputation. It's an essential desire from bottom like a contribution.
Even if your past had suffering, a desire will come true. Because you are still alive and you can decide what you have to do NOW.


Buddhism is the religion which is not believing in something but it is turning my thought inwards.