未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

「価値」というものについて考えてみた

ちょっとこの動画を見てもらいたいんですが....


価格があいまいなカフェがあったら……? 【国境なき医師団】


これ、国境なき医師団が送る「すべての人びとを対象とした救命・延命医療、検査手法、ワクチンの開発と利用の促進」を目的とした啓発広告なんですけど、これけっこう考えさせられません?

ご存知の通り、貨幣の3大機能は「価値尺度」「流通手段」「価値貯蔵」言われ、ここではものやサービスの価値を数値化させて、最適な交換を図るためのツールとして取り上げられてますけど、

「ものやサービスの価値を数値化」する

このテーマ、立ち止まって考えてみる必要ありそうですよね。

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1年くらい前の話なんですけど、1年間の東京生活を終えて京都のマンションに引っ越してたところ、洗濯機とか冷蔵庫とかそういった生活家電をあんまり持ってなかったことに気付きました。

そんなときちょうど京都から引っ越していく友達がいて「洗濯機処分しようと思ってたから安く譲るよ」って言ってくれたんですね。2人ともお金がない身だったんで引っ越し手伝ったりなんかして助け合うことになりました。

で。

問題は引き渡しのときに起こったんですけど、

「洗濯機ありがと。助かったわ。いくらがいい?」

「あぁ、気持ちでいいよ

気持ち........???

え?

試してきますねぇ。僕の器を。僕の生き方を。

彼は賢い友人です。僕が僧侶としてどう結論を導き出すか、完全に見定めてるんですよね。
「お布施はお気持ちです」とか言って不透明な価格設定の上にあぐらをかいている僕たち僧侶のお金に対する哲学、つまり価値観に真っ向から向かって来たわけです。


考えました。


洗濯機のない生活から解放されるわけですから、もちろんめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。問題はその気持ちをどう金額にするかです。


僕、以前友達とミスチルのライブに行ったことあるんですけど、ミスチルの大ファンとかじゃなかったので「まぁ結構楽しかったねー」ってくらいの感じだったんですけど、そのときくらいの満足度はあったわけですから、そのチケットと同程度のうれしさだとすると8,000円くらい...?

いやでも今月はそんなにお金ないし、そもそも8,000円とか高えよって話なので、僕の1ヶ月の可処分所得のうちの20%くらい...?

いやでも1時間強の引っ越しを手伝ったから、当時の京都のバイト平均時給から見積もって900円くらい...?


別に彼は仲のいい友達なので、1円くらいでも譲ってくれたと思うんですけど、
相手もお金に余裕があるわけじゃないのを知ってるので、ちょっとは払ってあげたいじゃないですか。

結局、2011年式TOSHIBAの洗濯機の価値が分かりませんでした。




ま、結局その洗濯機、
壊れてたんですけどね。



話を本題に戻しますが、
価値というのはモノそれ自体に宿っているものではないのかもしれません。

銀座の高級イタリアンよりも、恋人が一生懸命作ってくれた肉じゃがの方がおいしかったり、
北海道産のとうもろこしより、自分で初めて育てたとうもろこしの方がウマかったり、
ゴッホのひまわりよりも、死んだじいちゃんが描いたひまわりのほうが綺麗だったり。

自由な市場経済では一物一価が前提となっていますが、
心が価値を感じている以上、本当の価値は絶対唯一ではなく消費者の心の数だけあるはずですし、その時々によって変化し得るものでもあります。


あなたがいつも使ってるお気に入りのカバンや
あなたが今日のランチで食べた野菜なんかも

本当はすっごいものかもしれません。

死んだ誰かのおじいちゃんが作ってくれたものかもしれませんからね。

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<FYI>