未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

心のはたらきと「概念化」

ぼくたちは普通、物事を認識するときに概念化というステップを経ます。

これは視覚や聴覚など、五官から入ってきた情報を自分のこれまでの知識や経験に基づいて整理し認識しやすくするためのはたらきで、仏教ではこれを生き物が持つ心のはたらきの1つだと考えています。

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特に僕たち人間が概念化する際に欠かせないのが言語の力です。

例えば“青いもの”を見たときに「これは青い」というように視覚が捉えた色を「青」という言葉の中に閉じ込めます。世界には無限のグラデーションがあり、光の当たり方によってその見え方も異なってくるはずなんですが、多少の誤差は意識の外に置き、一部の特徴を抽出・増大して捉えようとします。ここでは水色、群青色さえも「青」になります。


この概念化が人間関係に及んでくると、僕たちは個人や個性を見失いがちになります。喋り方、肩書き、見た目、そして時にはたった数秒のコミュニケーションを基に「あぁ、そっち系の人ね」と相手をカテゴライズしてしまいます。


昨今、LGBTという言葉とともに性に関する多様性の認知が日本でも高まりました。

LGBTに対する尊厳」が社会に浸透していくことは間違いなく願わしいことですが、真に尊厳を得られるべきなのは、精神的・身体的特徴を持つ持たないに関わらず、すべての個人でしょう。

それは、あなた自身であり、あなたの家族、あなたの友人、あなたの同僚、あなたの部下です。特筆すべき個性を持つ人間だけじゃなく、目の前の個人を大切にすることがより重要です。

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では、個人への尊厳個人を大切にするとはどういうことでしょうか。

1. 主観的解釈に対する注意

概念化と同様、僕たちの認識プロセスには意思形成という心のはたらきがあります。そこでは経験や知識によって形成された価値観、倫理観に基づいてものごとを解釈していきます。

しかし時として、個人や個性に対して誤った解釈をしてしまう場合があります。
事実と異なった解釈に基づく行為は、

今年7月下旬に相模原市の知的障がい者施設で起こった連続殺人事件における、加害者のコメントを見ていると、被害者を含む入所者全員を「知的障がい者」の枠組みで捉え、加えて彼らを社会悪だと一律解釈しているように感じました。

こと人間においては「1を聞いて10を知る」というのはあり得ません。自ら作り出した解釈にしばられず、個人の特徴の違いをただの違いとして認識し、そこに主観的な善悪(解釈)を伴わせないよう意識的でいることが僕たちには求められます。

2. 異なる価値観の尊重

もう1つ、個人を尊重する際に大切なことは期待を強要しないということです。
人に期待をかけること自体は悪いとは思いませんが、自分が期待した結果を強要することは個人を尊重しているとは言い難いかと思います。

みなさんも経験したことがあるかもしれませんが、よかれと思ってアドバイスしたにも関わらず、そのアドバイスを全く無視して相手からの返答が自分の期待にそぐわなかった場合ストレスを感じるでしょう。

自分も相手もそれぞれが個人の価値観に基づく行動をとっているわけですから、相手からの返答や結果が自分の期待にそぐわない可能性が大いにあることを認識しておかなければなりません。

==FYI==

概念化がもたらす問題について『ブラックジャックによろしく(第9巻)』が精神患者編で描いています。
「精神患者=危険性をはらむ存在だ」という誤った認識に苦しむ当事者の様子が鮮明に描かれています。kindleから無料で読めますので、ぜひどうぞ。