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未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

禅から見た挨拶というコミュニケーション

今日、ある本を読んでた時に日常の「挨拶」を改めて考えてる機会を得た。
それは禅に関する何かの本だったんですけど、挨拶っていうのは人と人とのつながりを創る、卓越したコミュニケーションなんだそうです。

普通、僕たちは自分と何らかのつながりがある人に挨拶をします。同じ制服を着る人々、同じ職場に努める人々、同じ地域に住む人々。”なんらかのつながり”というのは人によって様々です。挨拶は言わずと知れた簡単に交わせるカジュアルなコミュニケーションです。

だけど、もともと「挨」と「拶」は「せまる」という意味を持つアグレッシブな言葉で、そこには人間関係をグッと近づける力強さが隠されているようです。

僕たちは、満員電車に押し込まれ、息使いが聞こえるほどに密着した人とすら挨拶を交わさなければ、見知らぬ他人でいられます。
それはもう恋人との距離だろうと思えるほどの密着でも尚、僕たちは他人として関われます。

けれど、一度言葉を交わせば、他人ではなくなります。
モノクロの満員電車の中で、その人だけが彩度を持って浮かび上がります。
もちろんそれだけだと、その人とは知り合いになるでもなく、ましてや友人となるわけでもありません。

恋人、家族、友人、知り合い、様々な言葉で、人間関係は規定されているけれど、
僕たちの人間関係はカッチリと分類されるようなものではなく、ゆるやかなグラデーションのようなもので、
結婚、嫉妬、喧嘩、告白、いろんなきっかけによって、僕たちはそのグラデーションの上を縦横無尽に動きまわります。

挨拶それ自体に意味があるわけではない。

挨拶って言うのはそれまで無関係だった人間同士を、相手にとって何らかの意味を持つ人間にしてくれる魔法のコミュニケーションなのかもしれません。

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