未来の坊主のたわごと

1992年生。お坊さん見習いやってます。

私と社会の狭間から

「なんで〇〇しなくちゃいけないの?」皆さんもこうした疑問を抱いたことは一度や二度ではないでしょう。

私は、お寺の長男という特殊な環境で育ったこともあってか、小さい頃から自分の将来のことをよく考えていました。それは前途ある未来に胸をときめかせていたわけではなく、もう少しネガティブな感情でした。一般の寺院の多くは、その世襲というシステムによって維持されてきました。私の周囲の大人たちもこれまで通り、それを望んでいたみたいです。もちろん当の本人たちに悪気はなかったんだと思うんですが、この周囲の大人の願望やそのシステム自体に疑問を抱きました。
f:id:yosh1nobu:20180419033925j:plain
この時やっかいだったのは、個人の願望が束になると、狭い世界で生きている子どもにとっては、その願望がまるで当たり前に守らなければいけないルールであるかのように感じてしまうことでした。それは決して居心地のいいものではありません。そうした環境で育った私は、何とかして自分のやりたいことを見つけて、ここから立ち去らなければ、という想いを持つようになりました。とはいえ「これがやりたい」と思えるような何かはそう簡単に見つかりませんでしたし、探し方も分かりません。自分と世の中をうまく接続できずにいた当時の感覚は、現代の高校生が「自分が参加しても社会は変わらない」と感じている想いに近いものがあるのではないでしょうか。


こうした虚無感の正体に気づいたのは、進学を機に地元を離れ、新しい環境に飛び込んでからでした。多くの学生にとって社会というのは、学校と家庭の人間関係で完結しています。限られた人間関係で成り立っている社会は、多様性の観点から言えば、人の流動性が高くない限りあまり健全だとは言えません。自分を理解してくれる人が見つからず、自分の居場所がないと感じてしまったり、エネルギーの矛先をどこに向ければいいのか分からず、生きづらさを抱えてしまうわけです。これは学生や若者に限った話ではありません。すべての個人にとって、多様な価値観に触れる機会があるかどうかは、生きる意味を模索する上でとても大切な要因です。
f:id:yosh1nobu:20160208013439j:plain
私たちは無意識のうちにさまざまな社会システムの上に暮らしています。学校で勉強し社会に出て働くといったものや、結婚して子を授かり一家を築くといったもの、最初に触れた世襲制もそうしたシステムの一環です。一度そうしたシステムを受け入れてしまえば、確かにあれこれと悩まなくて済みます。でも目の前のシステムがまるで全てであるかのように感じてしまうと、そこに共感できない人には息苦しさだけを残します。私たちが、自分の人生を自由に、精一杯生きたいと願うなら、一度自分の思考の枠組みを取っ払うきっかけが必要だと思います。


興味や関心を土台に自分の人生を自由に描くには、家や学校や職場だけではさすがに狭すぎます。そこには予期せぬ他者との出会いが必要です。他者との関わりは、自分の視野を妨げるものを気付かせくれたり、自分自身について深く考えるきっかけを与えてくれます。
f:id:yosh1nobu:20151217075603j:plain
人は育ってきた環境やそれまで接してきた人たちから大きな影響を受けますが、それが今後の自分自身を規定してしまうものではありません。私のお気に入りの仏教の言葉に自燈明というものがあります。釈迦の最期の教えの1つと言われているこの言葉ですが「あなたが死んだ後、私たちは何を頼りに生きていけばいいんですか」と問いかける弟子たちに「自分で考えなさい。自ら明りを燈しなさい」と伝えたとされています。


個人がそのままで尊重される社会では、自分が正しいと感じることであっても、それが必ずしも他者に共感されるとは限りません。ブレることのない軸を確立しようとするのではなく、自分の明かりと他者の明かりの狭間で、自分自身を自分自身でアップデートさせていく素養こそが、私たちには必要なのだと思います。


(寺報より転載)